「脚を描いてしまうと、たとえば歩いているとか組んで坐っているとか、要するに何をしているかがはっきり分かってしまう。やっていることがはっきり見えて説明的になってしまうのです。・・・(中略)
また、僕が脚をあまり描かないのは、手をはっきり描かないのと同じ理由によるとも言えます。説明的になるのを避けるという意味で―。」
(『有元利夫 女神たち』 美術出版社 1981年 p.12)
「部屋の中に女がひとり、舞台の上に女がひとり―僕の絵ではそういう情景が圧倒的に多い。(中略)なぜひとりなのか。簡単に言えば、関係が出てくるからです。二人以上の人物が登場すると、その人物間に必ず関係が出てくる。僕に言わせれば、関係というのは「場」とそこに居る人とのものだけでいいんじゃないか。居る者同志の関係はもういらないという気がします。(中略)その上肝心なのは、ひとりだと、あらゆる関係を取り去った人間全体を象徴するものとして人物をそこに描き出し得るということです。」
(『有元利夫 女神たち』 美術出版社 1981年 p.12)
美術においても人間関係においても、すべてが明らかであるよりも、どこか覆われた部分があるほうがワクワクすることが多いような気がします。
私たちがある人・もの・風景に心惹かれるのは、私たち自身の想像力による影響が大きいのではないでしょうか。そして、そういう私たちの想像力を掻き立てるということが美術作品の魅力の一つであるような気がします。
「有元さんの絵は見るたびに違う魅力を発見します」と多くの方が言われます。その理由の一つは、有元利夫の絵の中では行為や関係性を意図的に少しずつ削り落としてあるので、各々の物語をそこに埋めてみることが出来るからではないでしょうか。
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