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幕の間の出来事01:「有元さん」としての有元利夫
 
決まりごとではないけれど、既に亡くなっている作家について話したり書いたりする時はたいてい敬称を略すのが通例だと思います。小川美術館のスタッフは、作家・有元利夫に関することを話すとき「有元さん」ということが常です。館外の方とお話しする時は「有元」もしくは「有元利夫」とすることが多いですが、事務所内では「今度の有元さんの展覧会だけど・・・」とか、「有元さんのファイルはどこだっけ?」など、意識せずに「有元さん」となることが多いようです。

そこにはイロイロな背景や歴史や敬意や愛情など各自理由があるのだと思いますが、そもそも当館館長が「有元さん」という言葉を選びます。当館館長は有元さんがご活躍の頃から交流を持ち、当時から今まで25年以上ものあいだ、有元さんを敬愛し続けてきました。時々ふと、有元さんとの思い出話をボソっと口にしたりして遠くを眺めています。

若くして亡くなられた有元さんと私は直接交流をもったことは残念ながらありません。それなのに「有元さん」なんて、なれなれしい、ずうずうしい、と思われる方もあるかもしれません。ただ有元さんと交流のあった方たちから有元さんのお人柄についてお聞きしたり、有元さんの著書を読んだりすると、有元さんという方にはなんというか、「有元さん」と呼んでもいいような、そういう雰囲気があるように感じます。有元さんをご存知の方々はみなさん口をそろえて、「有元さんは作品だけでなくその人柄もとても魅力的でした」と、とても愛おしそうに語られます。有元さんを知らない私も「有元さん」と自然に口から出てくるのは、そういう人たちの有元さんへの深い愛情の続きなのではないかな、と思う今日この頃です。

有元さんのお人柄についてご友人の方々がお書きになった文章(『有元利夫追悼集』 彌生画廊 1986 に収録)を下記に一部抜粋させて頂きました。

“有元さんはいつも人なつこく、愛情のこもった、それでいてちょっと困惑したような目をしていた。”
−川瀬友弘氏 「有元さんのこと」から


“私の家でちょっとした集まりのある時は、声をかけて、利夫さんのブロックフレーテに、私がチェンバロで合わせることがありました。彼の持ってくる楽譜はだいぶ古ぼけていて、この人の笛歴(?)が相当長いことを物語っていました。(中略)私は初見で弾くので、笛に申訳ないくらいまちがえてしまうのです。
「悪いわね、この譜面貸しておいて下さい。こんどは練習しておくから」というと、「いいんですよ、ぶっつけで行きましょうよ」といって、「僕もまちがえますから、ハハハハ」と笑うのでした。もしかしてぴったり息が合うような合奏にでもなったら、もっと照れくさそうに笑ったかもしれない、そんな気がしました。“

−岸田衿子氏 「有元さんの楽譜」から

“仕事に区切りがつくと、電話魔になるらしく、夜中の十一時過ぎに電話がかかってきて、二時間や三時間が、瞬く間に過ぎてしまう事がよくありました。(中略)今から考えますと、あの頃の彼は、身体の調子が悪かった筈なのに、そんな事はおくびにも出さず、一月の私の個展の事を心配してくれたりして、話はいつの間にか、有元君の尊敬する画家の、山口薫や脇田和の話になっていました。
この二人の画家の話になると、彼は熱狂的で、先生、先生を連発しながらいつも、夢中になって話をします。その日も、そうでした。“

−清塚紀子氏「最後の長電話」から

“彼の個展へ行っても首の太い絵ばかりで男女の区別もなく、私にはとても理解出来ず、彼に説明を聞いても、にこにこしているだけで何もおしえてくれませんでした。ただ銅版画の色がとてもきれいなので、それしかわからないので、それを大いにほめると、大変喜んでくれました。”

−坂本清也氏「旧友」から


“アレヨ、アレヨ、と思う間もなく、高まる人気。安井賞受賞後、
「僕は、マイペースで遣りますから、大丈夫ですよ」と 自信に満ちた顔。
「この頃は、誰からも、いいですね、と言われるだけなんですよ。
蔀さんは前から知って居るから、気付いた事は何でも、遠慮なく言って下さいよ。」と謙虚な顔。“
−蔀一義氏「2月24日 私のなかの有元さん」から


“有元さんの音楽は少しも気取りがありませんでした。(中略)有元さんの笛は細かい事はあまりこだわりません。音符の長さも延ばしたいところは好きなだけ延ばしました。そう、こぶしなんかつけちゃって。もう演歌の世界そのままのビバルディでした。私は笑いをこらえるため、涙を流しながら伴奏しなくてはなりませんでした。”

−下川英子氏「芸大のころ」から


“絵の具がどうとか、色がどうとかいうことはちっとも教えてくれなかった。天気のいい午後なんかに大学院の部屋にふらっとやって来ては、一応筆を持ってたりする私たちを誘惑する。「ね、お茶のみにいこうよ、な、○○君もさ、な、な」(もちろんそうやって無理矢理連れられていくのはちっとも嫌じゃなかったけれども。)「僕これいいなぁ」なんて講評会で指さすのも大抵、描いた本人が失敗したと思っているのだったり、どうにもならなくて消してしまったやつだったり。(中略)デザイン科には色々なことをする人がいたけれど「世界は違っても、有元さんには認めてもらいたい」というおもいは、多くの人が持っていたと思う。”

−樋口千登勢氏「ひとつの大事なこと」から
 
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